緑の親指
2006年5月8日私達の家族が世界中を転々としている(と言うほどでもないか)のと反対に、実家はいろいろ建て替えなどありましたが、もう80年以上もずっと同じ場所にあります
周りを緑に囲まれた谷の一番奥で、2階に上ると、遠くの木々の間に水平線がちらりと見えます
絶対にここが自分の家だと思ってるのよ と母に言われているリスとうぐいすの鳴き声がいつもしていて、庭のどこかで暮らしているようです
子供の頃には、芝生のある広い庭の向こうに林があって、そのまた向こうが空き地になっていて、竹やぶがあって、ようやくその先が隣の家で、家の裏には井戸や畑があって、隅の方まで行くと迷子になりそうな、今では考えられないくらい広い家でした
子供の目で見ていたから、とても大きな家だと思っていただけなのかもしれません
今では、当時の3分の1程度の広さになってしまいましたが、母が暮らしているのはそのまた半分で、でもまだ猫の額よりは少し大きいくらいの庭があります
母のところに行っていつも驚かされるのは、同じ物を育てているつもりでも、うちのものとは、葉も花も、大きさも勢いも全く違う、見事な蘭の鉢の数々です
別に特別なことは何もしていなくて、ただ、今頃から夏の間中ずっと外の木陰に出してあげて、寒くなってきたらまた家の中に入れてあげるだけということです
やはりコンクリートではなくて土の上に、自然の光や風の中に置かれているから、元気さが違うのかな? もしかしたら人間にも当てはまるのかもと考えてしまいました
周りを緑に囲まれた谷の一番奥で、2階に上ると、遠くの木々の間に水平線がちらりと見えます
絶対にここが自分の家だと思ってるのよ と母に言われているリスとうぐいすの鳴き声がいつもしていて、庭のどこかで暮らしているようです
子供の頃には、芝生のある広い庭の向こうに林があって、そのまた向こうが空き地になっていて、竹やぶがあって、ようやくその先が隣の家で、家の裏には井戸や畑があって、隅の方まで行くと迷子になりそうな、今では考えられないくらい広い家でした
子供の目で見ていたから、とても大きな家だと思っていただけなのかもしれません
今では、当時の3分の1程度の広さになってしまいましたが、母が暮らしているのはそのまた半分で、でもまだ猫の額よりは少し大きいくらいの庭があります
母のところに行っていつも驚かされるのは、同じ物を育てているつもりでも、うちのものとは、葉も花も、大きさも勢いも全く違う、見事な蘭の鉢の数々です
別に特別なことは何もしていなくて、ただ、今頃から夏の間中ずっと外の木陰に出してあげて、寒くなってきたらまた家の中に入れてあげるだけということです
やはりコンクリートではなくて土の上に、自然の光や風の中に置かれているから、元気さが違うのかな? もしかしたら人間にも当てはまるのかもと考えてしまいました
コメント